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DALLA LIDIA merletti d'arte
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ブラーノ刺繍専門店:『ダッラ・リディア』
憂いを秘めた悲しげな美しい人は吐息つく……
東洋の地であんなに愛された事も今や遠く、彼女にはただ、愛の証に若い十字軍の兵士から贈られた海の藻が残るだけ。だが、藻は海が造り出したもの、一日一日つかの間の命を生きる。恋をした少女は、唯一触れる事のできる愛の思い出を失う危険を悟る。一方、彼女の胸の中にできるだけ長く生かしたいと言う思いが募ってゆく。この様な恋人の恋詩から漁夫の網に海草を模倣するという発想が生まれる。針を持ち、そして奇蹟は起こった。こうして初めてのレースがブラーノ島に出現した。この伝説は詩によって彩られ、今なお島の地域に残っており、ただの即興であるかもしれないし、本当にこの美術工芸の起源であるかもしれないと、考えてみるのも一興である。ブラーノ島の正真正銘のレースは何世紀のも渡って、男性・女性の服装に欠く事ができない一つの要素なり、千七百年代には扇、かばん、靴など幅広い用途に用いられた。
歴史的に、始めてレースがヴェネチアに出現したには、15世紀で最初の史実としてカルパッチョ(1456-1526)の絵の中に描かれる。レース工芸の起源に付いてのかなり正確な事実は、マーニャ・グレーチャ(ギリシャが征服したイタリア南部の地中海地方)と小アジアからヴェネチアにたどり着いたものと推測される。
一般的には、レースの使用が普及した功績は千五百何代末、モロジーナ・モロジーニ首相夫人と、首長マリーノ・グリマーニの夫人に帰する。しかし、すでに一世紀前の1483年にイギリス王リッカルド3世が、彼の載冠式に「レースの栄光」というラグーナのヴェネト地方から取り寄せたものを身に付けていた。さて、ブラーノ島の特産のレースに話を戻して、その基本的特徴について明確にしていこう。まずは何といっても針による作業、とくに「宙に浮いた」エアステッチ・ブラノステッチは特徴的で、ヴェネチアやキオッジァ、ベッレストリーナのボビンレースと見分ける目安となる。
1537年は、一般的にこのタイプの手工芸が始まったと言われる年である。島はその為に栄え、また島であるからこそ手ごろな産業であったことも想像に難くない。島だから生活の糧は、唯一漁業であり、漁師の網はたいていの場合、女性の手によって仕上げらられ、かがられた。針によるレース工芸は、もっともそれに適切な場所を得て、世界に知られる程の発展を遂げたのである。小さな特徴以外に色のことがある。詩人ディエゴ・ヴァレリは「太陽に透かしても輝く。だから運河の水も反射しながらその輝きを倍増させる」ブラーノ島の女達は陣になって座り、その不思議なほど早く動く手から、まるで魔法のようにかつてのルイ14世とその妃が彼の載冠式の時に、白い髪で作らせた衿、その他イギリスの女王マリア・トゥドール、フランスのカテリーナ・デ・メディチ(1519-1589)などのための服の縁飾りであった。素晴らしい作品が生まれてゆく。1700年末から1800年の初頭にかけてセレニッシマ(ヴェネチア共和国)の衰退に伴い、変革の波は短期間でレース工芸を有名にしたブラーノ島にも及んだ。「宙に浮いたステッチ」の秘技は、最後の古い職工たちと共に、消滅の危機にいたるほど衰退した。レース工芸は三百年以上に渡るヴェネチアの絶対的な特産物としての誇りを確認したにもかかわらず、19世紀の始めに退廃の時代に入る。セレニッシマの最後は、ラグーナの島々から1845年頃ブラーノ島で現在見られるものを除いてレースが消える。ブラーノ島を訪れる人は、画家たちにこよなく愛されたこの島をその目で確かめ、そしてこの島を世界中に知らしめたブラーノ・レースを手に入れるためにやって来る。島の中心にある特徴的な傾いた塔がそびえ立つ広場、そこにアンティークレースのギャラリー『ダッラ・リディア』がある。ここは現代に到る有名なブラーノ・レースと様々な形やデザインのアンティークなテーブルセンターなどに、感嘆させられるレース専門店である。ここには最高の品質、豊富で幅広い品が揃っており、テーブルクロス、ベットカバー、シーツ、カーテン、ハンカチ、刺繍入りブラウス、それにボビンレース、ルネッサンス、フィレ(縁取り)、ニードルレース、かぎ針レースなどによる品が揃っている。この店の奥には扇のコレクションがあり、中でも「太陽王」と言われたルイ14世(1628-1715)が所有していた堂々たる扇が人目を引いている。正式なギャラリーには、千五百年から現在に到る様々な時代の、四千から四十番手の貴重な糸を使用した美しい祭壇布やレース編が展示してある。現在のモダンレースは、四十番手の糸を使ってあり、とりわけ長さ12,8メートルの祭壇布は素晴らしい。
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